アニメある日はアニメ曜日

アニメ視聴記録

2025/7/27 日

春アニメざっくりとでも追いつかないとなぁ

 

異世界黙示録マイノグーラ~破滅の文明で始める世界征服~

第1話

かなり不穏なOPだったけれど、主人公の姿って第三者からはまさにそういう容姿になっているんだ……。
最近Civilization6をたまたま遊んでいたので、かなりシナジーがある。

初手で斥候を生産するとかね。

Civシリーズの定石プレイって領土拡大と侵略なのだけれど、そこに逆らって話が成立するのか注目したい。

 

第2話

邪悪属性になると怒りや憎しみが噴出しちゃうんだ……。冷静そうな眼鏡氏が邪悪属性になったとたんに雄叫び上げていたので笑っちゃった。

 

第3話

「研究しろ」というだけで研究が進みそうな雰囲気だが、『瑠璃の宝石』を見た後だと「アカデミック舐めてんのか!!」という気持ちになる。
水源に隣接した施設が成長性が高くなるのはCivシリーズっぽい。

 

ゲーセン少女と異文化交流

第1話
 これはちょっと明るめのタコピーだろ。

 筆者の頭の中にはPTAが存在しており、時々倫理を逸脱したアニメに対して警鐘を訴えるのだが、この作品もギリギリアウトではないだろうか。

 クレーンゲームに3時間も金銭を投じてしまうような体験を幼女に植え付けて良いのだろうか。
 ゲーセン通いにより幼女の人生が歪む様子を見続けるのは苦しいので、別要素が早く増えてほしい。
 本作は英会話アニメであるが、もしこれがロシア語やイタリア語だったら面白さがきな臭さに勝ったかもしれない。

 

公女殿下の家庭教師

第1話

 ヒロインキャラを男の膝の上に乗せたがるラノベ文化ってどこから始まったんだろうね?
 ハワード公爵は娘2人の出来を見て家の存続を半分諦めていたが、家を諦めるまえにまずは自分が再婚してもっと世継ぎを儲ける努力をするべきではないだろうか?
 もっと公爵としての自覚を持ってほしい。


瑠璃の宝石

第1話

 第1話Aパート終わりにOPを出してくる構成ってなかなか見たことがないなぁ。
表情の変化や動作が多くてリッチさがあるのだが、ここまで描写が多いと「落ち着きのないガキ」感も同時に高まってしまうなぁ。(家で足をドンドンするのとかね)
 あとなんか川の描写とかいい感じ。

第2話
 砂金採りの一環でザルをかき混ぜる動作だとか、水から上がるときにまず片足を迫り上げる動きだとか、一般的なアニメではなかなか出てこないマニアックな動きを注力して描いていて面白い。
 瑠璃に関しては「こいつクソガキだな」「瑠璃さんがクソガキを卒業した……」「またクソガキになっている」を延々と繰り返している。凪さんは聖人だろ。
 この絵柄と作風って『お兄ちゃんはおしまい!』と似てるなぁと思ったら、同じ監督・スタッフ・スタジオだった。
なるほどね。

 

第3話

 『瑠璃の宝石』って『ベイマックス』だったのかもしれん。
 筆者は『ベイマックス』や『バケモノの子』などの進学アニメが好きなので、加点がかなり重なってきた。鉱物学とか地質学とか何も知らんので、見ていてタメになってしまう。

 瑠璃のクソガキさは行動力と裏表なので、そのクソガキさがいい方向に好転し始めたと言う点でも良い話だったと思う。

 てか一瞬で英語論文を生成できる凪さんってもしかして大学院生のなかでも博士課程とかですか?


 9-nine- Ruler's Crown

第1話

それっぽいバトル物のストーリーを1分程度に圧縮する技術ってここまで発達しているんだなぁ。


美男高校地球防衛部イカラ!

第1話
 防衛部っぽい第1話で良いね。
 今回はネコが出てくるのも良い。

 

CITY

第1話

 僕が『日常』の好きな部分って阪本に大きく依存してたんだなぁということを思い出した。
 本作でもお気に入りのキャラを見つけられれば、より楽しむことができるかも。

2025/7/21 2025年春アニメの感想残り

すでに夏アニメが始まっているが

とりあえずその後見た分だけの春アニメの感想をまとめておく。

 

前橋ウィッチーズ

1-12話

 まずOPが良いので、それだけで評価が高まる。

 登場人物の背景や一話ごとのシナリオが上手く作られており、引っかかりや伏線には回答がしっかりと用意され起承転結のテンポが良いため退屈することのない良いアニメだった。

 しかし作品のテーマの一つである『応援』という要素は最後まで納得ができなかった。

 決断や価値判断が行われる様々な場面にて「それを決めるのは◯◯ちゃん(本人)だから」と自他の境界線を明確に引き続ける様は異質に見えた。悪く言えば主人公らの『応援』とは『責任を負わずに済む距離から他人に関わる』という冷徹な行為なのではないだろうか。

 また作中の置ける『応援』行為が『背中を押す』という意味付けで終わってしまったのは作風が子供っぽい印象で終わってしまった。(いや、アニメは子供に向けて作られるものなんですがね……)
 社会人(労働者)までライフステージが進むと、『応援』とは『金を払う』『労働力を提供する』など、自身のリソースを他人の為に削って提供する行為を指すことがある。それと比べると、資産を持たない学生であり、かつ時間や量力を提供するほど他人と距離を縮めない主人公らの『応援』は幼稚なままで終わってしまった。

 第4・5話のマイ回や最終回の店に関する決断などは『自身のリソースを提供する』応援の一環とも捉えられなくもないが、マイ回でリソースの提供の仕方を間違えたまま学習せず、廃棄物処理かのようにリソースを切り離すと同時に相手との関係も断つ行為を最終回でも繰り返してしまったのは残念だった。

 主人公ユイナが『薄っぺらくペラペラ』な存在であることは序盤と終盤の複数回で言及されるのは、魔女見習い活動が『アニメーション』の暗喩であるという補助線と捉えらられる。主人公らの魔女見習い活動が『背中を押す』範囲を超えないのは現実の『アニメ』作品が視聴者の人生活動に直接貢献することが無いことと一致している。構図を一致させているという点では正しいのだが、正しさからはみ出ない分だけ面白みには欠ける時があった。

 

LAZARUS

 第12話 第13話

いい旅アニメだった。

本作はどうしても『カウボーイビバップ』と比較される立場にあるのだが、それと比べると本作は楽曲力や人情話力がどうしても足りていなかった。

背景美術やアクションは常に優れていたので、楽しみ方を合わせれば良いアニメだった。


アポカリプスホテル

第8話

 時間経過を大胆にするだけでSF感が出る手法って発明なのかもしれない。

 

第9話

 まさか『サマーウォーズ』を超えるチャメチャ冠婚葬祭アニメが爆誕するとはな。

 

第10話

 結局二人の死因って何だったんだろうか。長命さゆえに地球人の倫理がもはや通用しない差異をいまさらここで見せてくるとはな……。

 

第11話

 この話はみんな大好きにならざるを得ないでしょ。
9-10話とトリッキーな話が続いた後に、セリフを抑えたこんな真面目なエピソードを出してくるのはなぁ。ここまで散々「地球人とそれ以外」「有機と無機」というような人間との差異を出し続けてきたところで、「でも人間と同じで、逃れられないものがあるンすよ」と共通点を出してきたのは効果的すぎる。

 

第12話

 ついに人類がホテルを訪れるという待ちに待った展開。「永住する」か「住まない」の二択しか無いだろ、と思って見ていたが全く考えていなかった第三の回答が出てきて完全に脱帽。なぜ本作の舞台が『ホテル』だったのかという設定がここでさらに光るとはなぁ。いいアニメだった。

 

忍者と殺し屋のふたりぐらし

第10-12話

 両親が蒸発した同級生以外はみんな幸せになってよかった……。よかったのか?

 原作だと同級生に関してもその後なにかしらの進展があるのかなぁ。

 相手と同じ喪失を経験することで対等になれる最後の展開って『ヒックとドラゴン』みたいで好きだよ。

 

 日々は過ぎれど飯うまし

 第5-12話

 P.A.Worksといえばリアル路線労働ポルノアニメ(『花咲くいろは』『アクアトープ』)を得意とする苛烈なアニメスタジオと筆者は認識しているのだが、オリジナルアニメでこんな優しい作品をPAも作るんだ……。

2025/6/25 水(ジークアクス最終話のみ)

他にも今期アニメは見ているが、いまはジークアクスの話をする。

 

機動戦士Gundam GQuuuuuuX

第12話と全体の所感

 

■手短に総評

・メカニックの細やかなこだわりやや局所的なシナリオには光るものがあった。

・またファーストガンダムのシナリオを改変する際の絶妙な手つきは素晴らしかった。

・しかしマイ・ベスト脚本家・榎戸洋司鶴巻和哉という奇跡的な制作スタッフ陣が作ったガンダム作品としては、期待に応えきれていなかった。

・マチュらGQオリジナルキャラらに対する描写が慢性的に不足しており、結果彼らの物語や動きは、制作陣のアニメ論・創作論・ニュータイプ論を語るための借り物の道具に過ぎないように見えてしまった。

・そしてその真横でガンダム作品に直接関係ない作品(エヴァ・アイドル・セーラームーン)のパロディに尺や制作コストを使用している様子は、ファンサービスというより真摯さに欠けている行動のようにも感じてしまった。

 

 

■最終回の感想

ロボットアクション

 とりあえず熱いロボットバトルをしてくれれば筆者は満足できるので、その点ではキケロガ・ギャン戦はかなり満足した。キケロガ・赤いガンダム戦もかなり満足した。

 白いガンダム戦はそれと比べるとちょっと見劣りした。背中を反らせてビームを避けるシュウジの姿は流石にもう見飽きた。でもマチュとニャアンがハチャメチャな同時攻撃を重ね続けているので、結局は見ごたえがある。

 

最終回シナリオ面の良点

 アルテイシアの使い方が上手すぎる。

 またシャリア・ブルの真意については意表を突かれた。思えば今までシャリア・ブルの内心が直接描かれた箇所は本編になかった筈なので、この脚本上の仕掛けは最初から計画されていたものなのだろう。

 また「サビ家独裁による社会の閉塞感や歪さ」という問題をたびたび言及した上で「GQ世界を創造し操作している夢の主(シャロンの薔薇の少女)もザビ家同様に危険な存在なのでは」という理屈も納得はできた。

 

最終回シナリオ面の悪点

 良点以上に目についてしまった。

 各キャラが突然各々のニュータイプ像を連呼し始める流れは、ニュータイプ論を語りたい制作陣がキャラの口を道具として借りている仕草に見えてしまった。

 またマチュが述べた「誰かに守られなきゃ生き残れない者は本物のNTではに」「毎日進化する」「誰かに守ってもらう必要のない強いNT」という理想像についても、ギレンの「自然淘汰旧人類に勝つNT」キシリアの「淘汰される力は強さではない」に近似しているように思える。その差異が見えないせいで、マチュの革新性を読み取ることができなかった。小賢しいマチズモだって自己言及してたじゃん。

 

 

 また個人的には『ニュータイプ論』なるものにそもそも興味がない。筆者が苦手なガンダム作品は『ガンダムNT』になるくらい、ニュータイプ論に興味がない。

「本物と偽物」という話をしていた作品のはずなのに「本物のニュータイプとは?」という話に重点と筆者の期待がどんどんズレてしまった。

 

 また薔薇ララァシュウジの動きの背後に創作論やクリエイター論が見えすぎていて幻滅した。

 登場人物個人を描くのではなく、制作者のクリエイターとしての思想を仮託するための道具として登場人物がいるように見えた。

 たとえばジークアクス全体の話を要約する方法の一つとして、「絶望した人(薔薇ララァ)が夢を見る行為(フィクションの摂取や創作活動)を通して癒やされて前を向き直す」という言い換え方ができる。

 こうするとなんとなく『ジークアクス』という作品自体の立ち位置や、最終回のトークでなぜララァが立ち直れたのかということに納得がいくような気持ちになれる。

 ただこうした作品を外から見るような読み解き方は個人的には小賢しいと思っており、作品外の事情は考慮せず、あくまで作品内の情報や描写だけで納得できるシナリオを作ってほしかった。

 つまりは薔薇ララァがどうやって最愛の人の死を最終回で乗り越えられたのかということについてもっと描写してほしかった。

 

 シュウジの最終回での改心も同じような小賢しい読み解き方ができる。

 アニメキャラにとってはアニメこそが現実といえる。

 するとGQ世界を作った夢の主・薔薇ララァを一次創作者とするなら、その世界に入り込んで物語の装飾や補正に従事しているシュウジはアシスタントないし二次創作者と位置づけることができる。

 また当初からシュウジはストリートアートを行うというクリエイター的要素が与えられていることは、序盤から描かれている。サイコガンダム回の直前にて『書き直さないと』という次創作活動を想起させる発言もしている。

 作者が定めた枠内で作者とその創作物のために行動しているように見えるシュウジであるが、最終回にてマチュはシュウジの創作者としての不自由さを指摘する。

 「自分の心を縛っている」とは『創作活動の範囲を限定してしまっている』

 「ララァのことが好きなんでしょ」は『ララァと自分が結ばれる一次創作をシュウジがしたいのではないか』

と言い換えることができる。

 その言及により創作者としてのシュウジの自己認識が更新されて、薔薇ララァに奉仕するための二次創作活動から抜け出したことが最終回のシュウジの改心につながると読み解くことができる。

 しかし繰り返すが、こういうクリエイター論的なアニメの読み解き方を作者は邪道だと思っている。というかこうした描き方の前例は多くあるだろう。

 シュウジの行動動機や心情を丁寧に描くことを放棄して、描写不足の欠陥を埋めるためにクリエイター論が導入され、結果シュウジがクリエイター論の化身として適当に消化されてしまったようにも見えた。もっと作品内だけの情報で人間を描ききって欲しかった。

 

雑・SF的に気になっているところ

 宇宙創造ができるサイコミュってどういう仕組や理屈なのだろうか?

 「そういうサイコミュがあるそうした宇宙があるんです!」って言い張れば何でもありなんだけれどさ。

 

 エルメスはどうやってGQ世界に転移してきたのかだろうか?

 「世界に一つしかないアルファ型サイコミュが二つ存在し、その共鳴による不安定さがゼクノヴァを引き起こす」とは11話でシャアが語った理屈である。

 しかしこれだけではエルメスがGQ世界に転移してきた原因が不明なままだ。ゼクノヴァを起こすには一つの世界に二つの同型サイコミュが必要なのであるということは、ただアルファ型サイコミュを作っただけではゼクノヴァは起きないのである。

 ゼクノヴァが起きない状況でどうやってエルメスがGQ世界に来たというのだろう?

 エルメスがGQ世界への転移してくるという現象は、シャアが語ったゼクノヴァの条件が満たされていないもかかわらずゼクノヴァ的な転移現象が起こったことを示唆している。

 これも「薔薇ララァは自分の作った世(GQ世界)界に自由に出入りできる」という理屈を作ってしまえば言い訳がつくのだが、なんかダサい。

 ゼクノヴァとエルメス転移はまったく別の現象なのか、シャアがまだ理解に及んでいないゼクノヴァ現象の法則があるのか、筆者にとってまったくの謎である。

 

 GQ世界がどの程度ララァから独立しているのだろうか。シュウジが破壊すると初めて『夢』になってしまうらしいから、宇宙創生にララァが関わっていたというだけで破壊されない限りはずっと存続できる独立した宇宙なのだろうか。

 計算力によって現実宇宙と仮想宇宙の主従が計算力によって逆転する様をイーガン『順列都市』は描いている(というのが筆者のつたないイーガン理解である)が、『ジークアクス』もそういう系列の、下位に属していた宇宙が独立や昇格する話だったのだろうか?

 そもそも薔薇ララァの世界もGQ世界もどちらも『機動戦士ガンダム』の下に作られた物語世界であることは視聴者の我々は知っているわけで……。

 

 同一のサイコミュがあるとなぜ宇宙の境界が不安定になりゼクノヴァが起きるのか?

 真面目にSF的な理屈を考えてみる。

 まず薔薇世界のGQ世界は情報のやり取り自体は普通にできそうな関係にあるとみえる。一度消えたシュウジは幽霊のような姿で第11話に再登場するが、あればシュウジの肉体は薔薇世界あるが精神はGQ世界に届けることができると描写解釈できる。

 つまり別宇宙間で物質のやり取りを行うのは難しいが、情報通信のやりとりはできなくもないというルールがあるのかもしれない。

 宇宙を超えて情報をやりとりできるということは、機械であるサイコミュの送受信も可能だということにある。

 そしてエルメスと赤いガンダムには同じアルファ型サイコミュが搭載している事実がある。

 そこでアルファ型サイコミュに当てて情報を流した時に、別宇宙のアルファサイコミュにも情報が混線して流れてしまうこともあるのではないだろうか?

 仮にそのような事態が発生すると、エルメスのアルファ型サイコミュに繋がったまま寝ているララァは、サイコミュから入ってきた情報が薔薇世界の情報なのかGQ世界の情報なのか区別がつかないのではないだろうか?

 薔薇ララァの視点では薔薇世界とGQ世界の見分けが付かないような、2つの宇宙が混ざり合う瞬間が生まれ得るのではないだろうか?

 するとその瞬間だけは、仮に片方の宇宙にしか存在しない物も別宇宙に転移することが可能そうである。

 もし二つの宇宙の現実に薔薇ララァの主観的認識が強く作用するなど複数の前提を設定することができるのであれば、同じサイコミュがあることで宇宙を乗り越える超常現象が起きる理由をなんとなく組み立てることができる気がする。

 


余力があればジークアクス全体の感想も別途述べたい。

2025/6/18 水(ジークアクス第11話に対する感想)

機動戦士Gundam GQuuuuuuX

第11話。

 第11話を単体でいま評価するのは難しい。

 次の最終回で何が成し遂げられる何かがあれば、その下地として第11話も必要であったのだという価値が決まりそうだ。

 ただ現時点での印象を述べると、第11話はまったく筆者の好みではなかった。

 

 まずロボットアニメでの終盤となると熱いバトルを期待してしまう(※コードギアス1期)。

ジークアクスとジフレドにそのアクションを期待していたが、実際にはキケロガとギャンの方である程度行われた。その内容は物足りないものではあったのだが。

 ファンネルを素手で掴むのは目新しいなと思ったが、それも第一話でエグザべがやっていたな……。

 

大枠として、第11話で筆者が感じた不満点は以下の2つである。

①旧作キャラとGQキャラによる尺の奪い合い

②作品より視聴者に目線を向けた演出

 

 ①に関しては従来から広く認識されており、いわゆる「描写不足」としてたびたび言及されていたと思う。

  これは2種類のドラマを描くために、限られた尺をお互いに奪い合いになってしまったからだと考えられる。

 理想的には旧作キャラとGQキャラの人物像が同時に深まるように、会話のやり取りや交流を頻繁に行って欲しかった。しかし実際には、これまでの本編では固定されたキャラ同士だけで会話するだけで人間関係の化学反応を起こさせる機会が少なかったと思う。

 また本作は一話限りの出演をするキャラが多くいことから、後に活きることのないただ一度きりの描写で尺を消費してしまった問題もある。もしゲストキャラが死亡せず何度か再登場するようなシナリオであれば、描写の積み重なりが生まれたはずで、尺の有効活用に繋がったと思う。

 

 今回の11話ではそうした「①旧作キャラとGQキャラによる尺の奪い合い」による歪みが顕著に見受けられた。

 まず、ほぼ全てのキャラの発言が状況説明や解説のための早口ゼリフとなり、ドラマの盛り上がりが終盤に期待する盛り上がりに届いていなかった。

 今まで短いセリフや過程の省略によりドラマを動かしてきたのに、土壇場になってそのスタイルをやめて説明口調のシナリオになって変わってしまったのは単純にダサい。

 そんな早口で会話や説明ができるなら、もったいぶらずに最初からそうしておけばよかったのでは?(例外的にシャアは最初からセリフが多かったが)

 

 特に第11話中でドラマ性の欠如が現れたのはマチュ・ニャアン・シャア・キシリアが劇場で居合わせるシーンだ。

 このシーンの下敷きはZガンダム最終話にてカミーユ・シャア・シロッコハマーンが同じく劇場で意見を戦わせるシーンである。該当箇所はZガンダム名場面の一つであり、ここの会話劇を通じて少なくとも下記3つ以上の名台詞を生み出している。

 ・私は歴史の立会人にすぎんが……

 ・本当に排除しなければならないのは……

 ・常に世の中を動かしてきたのは一握りの天才だ

 このように格式の高い題材を作品川が出してくると視聴者としてもドラマの盛り上がりを期待せざるを得ないのだが、実際にはマチュらの乱入より会話自体が途絶するという最悪の化学反応が発生したのみとなった。

 旧作キャラのみ、あるいはGQキャラのみの会合であれば、少なくとも会話による何かしらの作劇が生み出されていたのではなかろうかと想像してしまう。それが実際には会話の破綻という無の結果しか産まれなかったのは残念である。

  もちろんこのシーンには「富野ガンダム的な旧来のドラマを新世代が改変し乗り越えていこう」とする本作の基本姿勢が改めて表現するという意図が込められていることは理解できるものの、素晴らしい題材を破綻させた改悪点の方が先に目についてしまう。

 さらに自ら擁護すると、このあとニャアンが発砲する出来事の方が重要であることから、本作は会話より行動で駆動するシナリオを重視する方針で一貫しているとは言えなくもない。

 ただやっぱり「あー。会話で話を盛り上げることが本当にできないんだなぁ」と失望してしまったのが放映視聴時の筆者の正直な感情である。

 こっちはシャアの再登場により各人物がどのように影響し合うのかを楽しみにしていたんだよ……。

 

 長くなってしまったが「②作品より視聴者に目線を向けた演出」に移る。

 一言で言えば、暗転した画面に懐メロを80秒間も流し続けるのではなく、一枚でも多く絵を見せて映像を動かしてほしかった。

 本作は既存ガンダム作品やガイナ・カラー作品からの引用が非常に多い。

 これらの引用は監督ないし脚本家の美意識に沿って作品本体の内容を高めるために引用していると受け止めていたが、視聴者に動揺を与えたいだけの飛び道具に過ぎなかったのではという疑念を第11話EDで抱いてしまった。

 適切な引用は既存の約束事を作品側と視聴者側で共有することで、場面に込められた意味合いを深めることができる。

 本作のこれまでの引用群の目的も、限られた尺内でドラマを展開するためだと思って視聴を続けていたが、第11話EDにて映像を見せることを諦めて過去の有名曲を流すだけの80秒間スタッフロールを見たことでこの認識は変わってしまった。

 これらの引用は作品内容に奉仕するためではなく、視聴者を刺激するために向けた行為だったのか?

 素晴らしいドラマを見せて観客を反応させるより、作品を経由せずに刺激物を直接観客にぶつけた方がより簡単に興奮させることができると考えているのだろうか?

 こうした疑念は過去にもあった。第六話にて人物の写し鏡ともいえる本棚を実在のアイドルグループと同じ内容にした行為には、引用行為に対する誠実さについて作品側と筆者との間で大きい差異があるのではと疑った。

 作品のために引用があるのではなく、引用のために作品があるのだという態度で制作しているのだとしたらそれは筆者にとって残念なことだ。

 今回のEDでは映像やセリフで何かを語ることより、懐メロの引用で視聴者を揺さぶることを優先したようにも見えるので大変不安である。

 

 以上のように第11話はこれまで筆者が不安視していた要素が特に強く現れてしまったエピソードであった。しかしこうした筆者にとっては嬉しくない要素であっても、これからが最終回の下地や布石になっている可能性もあるので、最終的な評価はまだできない。

 来週の最終回が筆者が想像していないような面白い内容になっていることを期待するばかりである。

 

2025/6/16 月

機動戦士Gundam GQuuuuuuX

第10話。

原作重要キャラが一瞬で死んでしまうとはな。

正直、ガイナ作品パロをしている暇があったら作中のキャラをより動かしつくすことに注力してほしい気持ちになる。

個人的にまだ納得に至っていないのがニャアンからシュウジに対する感情で、シュウジとの再会のためにイオマグヌッソを撃つとは思わなかった。

ニャアンは黒い三連星戦でシュウジを肉の壁としてあっさりと利用していた印象が強いので、恋愛感情や思慕の念などがさらにそこに両立しているとはちょっと納得できない。

本作では過程描写を大胆に省くので視聴していると欠乏感を感じる。

個人的にはED映像を毎週変えて、ED中に人物たちの日常カットを見せるなどの描写の水増しをしてくれていればその辺りの問題が改善されたのになぁと思う。

10話本編の話を戻すと、新しい環境で相手をあだ名呼びする程度には人の輪を広げているマチュと、キシリア以外には対話を拒否しているニャアンが対称的か。

またこれまではニャアンは嗅覚を使って危機や環境変化を感じ取っていたが、テレビアニメという視覚聴覚で鑑賞者を刺激する作品媒体において、視聴者には絶対に認識できない嗅覚を鍵としてニュータイプ的センスを発揮しているという表現は面白い。

まぁこうした嗅覚を使ったアニメ表現は庵野秀明がずっとやっていたので、この表現も二番煎じと言ってしまえるのであるが。

 

ところで巷では最終話にはどのSF作品のタイトルが引用されるかで大喜利が行われる。

SF業界にあまり詳しくないが、ここ十年はケン・リュウをはじめとする中国系SFの広がりが目覚ましいのでそのあたりかなーと思ったり。

『三体』だとあまりにも被るから『死神永生』とか。

または女性SF作家ということでティプトリー作品から引っ張ってきたりとか?

 

LAZARUS

第8話。

折りたたみ椅子に拘束されたままでのアクション。あいかわらずよく動くアニメだなぁ。

本作は『カウボーイビバップ』と比べてられてしまう宿命にあるのだが、それとくらべると人情噺力と音楽力が足りていない。

第9話。

このアニメは音楽力が足りてないよ、と言ったと思えば冒頭しっとりBGM長回しカメラ演出がお出しされた。おしゃれだけれど、今どきこの程度のおしゃれではカウボーイビバップを上回ることはできない。

それにしてもアクションシーンは本当によく動くアニメだな。

中華系が黒衣装でワイヤーアクションしちゃったら、それはもう実質『DARKER THAN BLACK』だろ。

 

第10話。

こういうベタな里帰り回、好きだよ。

 

第11話。

なんかいい感じにシナリオが収束しつつあるな。

まあ活用を保留されていたキーアイテムがようやく日の目を見ただけなんだが。

2025/6/9 月

機動戦士Gundam GQuuuuuuX

第8話

ニャアンは受験勉強あきらめていたらしい。まあ確かに本の手前に小物とか置いてたもんなぁ。くそー。

2号機が出るんだ……。テストパイロットが軒並み死んでいるとのことでGフレドはどれだけヤバい機体なんだよとおもったが、反対勢力が暗殺していただけとはな。

社会的な上昇を華麗にし続けるニャアンであるが、タイトルが『月に堕ちる』であることを踏まえると本人にとって現状は失敗に近い状況なのだろう。

「テストが始まるとこんな風には会えない」と言いながら同僚が爆速でケーキを作っていたように、住居や制服が上等になっても、結局生活や行動は制限されそうだ。

家族や集団の団欒に飢えていると思えるニャアンにとっては、Gフレドのパイロットになってより管理される立場となってしまったことは上昇を意味しないのでは。

ところで「ディアブロ」呼称やサイコミュを動かすときの目の発光が気になるが、ニャアンやマチュは従来のニュータイプとは似て非なる状態になっているのだろうか?

そしてエグザベであるが「フラナガンスクール首席」の肩書きは4 人しかいない候補生の中でナンバーワンという意味なのか、数十人以上の候補者の中で4人が選抜されてさらにそのなかのナンバーワンなのか、どちらだろうか。

前者であれば格がちょっと落ちてしまうに感じるが。

それにしても作劇の都合であることは分かるが、格納庫に何回も出向くのは脚本が剛腕すぎるだろ。

巷ではなぜエグザベは毒殺されなかったのかという点で複数の説が出ているが、単純にエグザベがパイロットになった時点では同僚はまだ裏切り勧誘をされていなかっただけだと思うんだけれどなー。

そして裏切ると言えば某従者も裏切り者であったのだが、じゃあお前はサイコガンダム襲来の時にどういう気持ちでキシリアを庇ってたんだよ?!!??!

 

第9話

シャロンの薔薇の正体が明らかになったが、某作品でのアレは少なくとも正面からビームサーベルを食らって破損していたはずなので、某作品とはまた違う宇宙からきたアレだということだろうか。

シャリア・ブルが読心能力を使って尋問を行ったが、あの会話のテンポが彼が本来行いたい速度だとすると、普段オールドタイプと会話する時はそのテンポの遅さに内心イライラしてそうだなぁ。

初めて地球に来たスペースノイドが1 G堪能するのはガンダムWでも登場した筆者の好きな描写である。

序盤のマチュはコロニー生活の違和感を説明する際は「直径6.4kmのスペースコロニーは113.5秒に1回回転」と論理的な方法を使っていたが、ここに来て飛んだり跳ねたり観察したりなど、感覚派っぽい仕方で理解に努めているのは微笑ましい。

まあで飛び込み台で逆立ちするなど、もともと実践派ではあったか。

それにしてもマチュ脱走の際に的確なナビが発生するのは最終話アムロすぎるだろ。

あとコモリは凄く優しいと思う。

雑談してくれるし、私物貸してくれるし、釈放する方向に話を持っていってくれるし。

 

2025/5/22 木

機動戦士Gundam GQuuuuuuX

第七話

コロニーって意外と丈夫なんだな。

破滅的な出来事が今回起こることは前話の流れから予告されていたが、思っていたほどの被害は発生しなかった。

とはいってもマチュの醜聞は世間に知られてしまった訳で、元の生活には用意には戻れなくなってしまったのは確か。

キャラクター的にはゲーツが退場したのはちょっと残念。

ゲーツとドゥーのセリフや演技は特に強い榎戸さを感じていたので、もっと喋って欲しかった。

ストーリー的には未搭乗の赤いガンダム単体だけでゼクノヴァを起こせるものだというのは驚き。てっきりもっと複雑な条件が必要なのかと思っていた。サイコミュにロックを掛けていたのは全然大げさな運用じゃなかったんだな。

そして各キャラクター間でコミュニケーションや情報の差異が発生したことで、なかなか話が拗れていきそうな雰囲気になってきた。

すでに残り話数も少なくなってきたが、ここからどう話を持っていくのか楽しみ。

 

LAZARUS ラザロ

第七話

作中にて「都市部の空はいつも曇っている」という言及があり、これまでの放送回を見返してみると確かにそうなっていた。気づかなかったなー。

これまではアクション主体の賑やかなエピソードが大方が、今回は世界各所の水没都市がゆっくりと描写されるようなゆったりとした雰囲気で息抜き回って感じ。

 

アポカリプスホテル

第二話

不可思議さと面白さが同居した、何が起こっているのかハッキリとは分からない30分だった。OP・EDに出てきたタヌキは新人類なのか何なのか。

 

第三話

前回からあっさり50年経過したらしい。タイムスケールがヤバすぎる。

タヌキ星人の害獣ぶりは本当にギリギリだったが、後半にはちゃんと良心や誠意を見せてくれて本当に良かった。

タヌキ星人は噂に聞いて地球に来たということは、地球人は宇宙の何処かで元気にやってるってことなのかな?

地球近くで壊滅していた地球人の宇宙船はミスディレクションと思いたい。

 

第四話

日本って砂漠化してたんだ。ドアマンロボが毎回熱暴走していたし、そこが伏線だったのか。

巨大ミミズの正体をタヌキ星人が知っていたということはコイツも宇宙由来だと思うんだけれど、そもそも地球って宇宙からの侵略を受けていたのかな。

 

第五話

色々起こって面白かったな。

ヤチヨが宇宙語を覚えたおかげで宇宙人ドラマが分かりやすくなったとおもったが、酒造りが始まった。

日本酒でも作るのかなと思ったらウィスキーをチョイスし、平気で一話内で25年も経過してしまった。

豪快すぎるだろ。25年も一緒に暮らしたらそれはもう家族じゃんよ。

いま気づいたけれど、主人公ヤチヨ(八千代)ってネーミングからして、最終的に8000年くらいの時間経過を作中で取り扱うつもりなのかなぁ。

 

第六話

第三話から平気で100年も経過してしまったらしい。

破壊を司るハルマゲドンへの接客は綱渡り的な緊張感を伴ったが、なんかいい感じにいい話で終わることができた。

ポン子がやたら暴走したことで最終的に特殊エンディングまで発生してしまったが、これって本当に恋愛テーマのエピソードだったのか?

維持を行うヤチヨと破壊を司るハルマゲドンは正反対な存在だけれども、おそらく相当長い年月をかけて使命を継続しているという点では似た者同士であるとも言える。
そうした似た境遇同士にしか分からない共感みたいなものはあったのだとは思う。