2025/6/25 水(ジークアクス最終話のみ)
他にも今期アニメは見ているが、いまはジークアクスの話をする。
機動戦士Gundam GQuuuuuuX
第12話と全体の所感
■手短に総評
・メカニックの細やかなこだわりやや局所的なシナリオには光るものがあった。
・またファーストガンダムのシナリオを改変する際の絶妙な手つきは素晴らしかった。
・しかしマイ・ベスト脚本家・榎戸洋司と鶴巻和哉という奇跡的な制作スタッフ陣が作ったガンダム作品としては、期待に応えきれていなかった。
・マチュらGQオリジナルキャラらに対する描写が慢性的に不足しており、結果彼らの物語や動きは、制作陣のアニメ論・創作論・ニュータイプ論を語るための借り物の道具に過ぎないように見えてしまった。
・そしてその真横でガンダム作品に直接関係ない作品(エヴァ・アイドル・セーラームーン)のパロディに尺や制作コストを使用している様子は、ファンサービスというより真摯さに欠けている行動のようにも感じてしまった。
■最終回の感想
ロボットアクション
とりあえず熱いロボットバトルをしてくれれば筆者は満足できるので、その点ではキケロガ・ギャン戦はかなり満足した。キケロガ・赤いガンダム戦もかなり満足した。
白いガンダム戦はそれと比べるとちょっと見劣りした。背中を反らせてビームを避けるシュウジの姿は流石にもう見飽きた。でもマチュとニャアンがハチャメチャな同時攻撃を重ね続けているので、結局は見ごたえがある。
最終回シナリオ面の良点
アルテイシアの使い方が上手すぎる。
またシャリア・ブルの真意については意表を突かれた。思えば今までシャリア・ブルの内心が直接描かれた箇所は本編になかった筈なので、この脚本上の仕掛けは最初から計画されていたものなのだろう。
また「サビ家独裁による社会の閉塞感や歪さ」という問題をたびたび言及した上で「GQ世界を創造し操作している夢の主(シャロンの薔薇の少女)もザビ家同様に危険な存在なのでは」という理屈も納得はできた。
最終回シナリオ面の悪点
良点以上に目についてしまった。
各キャラが突然各々のニュータイプ像を連呼し始める流れは、ニュータイプ論を語りたい制作陣がキャラの口を道具として借りている仕草に見えてしまった。
またマチュが述べた「誰かに守られなきゃ生き残れない者は本物のNTではに」「毎日進化する」「誰かに守ってもらう必要のない強いNT」という理想像についても、ギレンの「自然淘汰で旧人類に勝つNT」キシリアの「淘汰される力は強さではない」に近似しているように思える。その差異が見えないせいで、マチュの革新性を読み取ることができなかった。小賢しいマチズモだって自己言及してたじゃん。
また個人的には『ニュータイプ論』なるものにそもそも興味がない。筆者が苦手なガンダム作品は『ガンダムNT』になるくらい、ニュータイプ論に興味がない。
「本物と偽物」という話をしていた作品のはずなのに「本物のニュータイプとは?」という話に重点と筆者の期待がどんどんズレてしまった。
また薔薇ララァやシュウジの動きの背後に創作論やクリエイター論が見えすぎていて幻滅した。
登場人物個人を描くのではなく、制作者のクリエイターとしての思想を仮託するための道具として登場人物がいるように見えた。
たとえばジークアクス全体の話を要約する方法の一つとして、「絶望した人(薔薇ララァ)が夢を見る行為(フィクションの摂取や創作活動)を通して癒やされて前を向き直す」という言い換え方ができる。
こうするとなんとなく『ジークアクス』という作品自体の立ち位置や、最終回のトークでなぜララァが立ち直れたのかということに納得がいくような気持ちになれる。
ただこうした作品を外から見るような読み解き方は個人的には小賢しいと思っており、作品外の事情は考慮せず、あくまで作品内の情報や描写だけで納得できるシナリオを作ってほしかった。
つまりは薔薇ララァがどうやって最愛の人の死を最終回で乗り越えられたのかということについてもっと描写してほしかった。
シュウジの最終回での改心も同じような小賢しい読み解き方ができる。
アニメキャラにとってはアニメこそが現実といえる。
するとGQ世界を作った夢の主・薔薇ララァを一次創作者とするなら、その世界に入り込んで物語の装飾や補正に従事しているシュウジはアシスタントないし二次創作者と位置づけることができる。
また当初からシュウジはストリートアートを行うというクリエイター的要素が与えられていることは、序盤から描かれている。サイコガンダム回の直前にて『書き直さないと』という次創作活動を想起させる発言もしている。
作者が定めた枠内で作者とその創作物のために行動しているように見えるシュウジであるが、最終回にてマチュはシュウジの創作者としての不自由さを指摘する。
「自分の心を縛っている」とは『創作活動の範囲を限定してしまっている』
「ララァのことが好きなんでしょ」は『ララァと自分が結ばれる一次創作をシュウジがしたいのではないか』
と言い換えることができる。
その言及により創作者としてのシュウジの自己認識が更新されて、薔薇ララァに奉仕するための二次創作活動から抜け出したことが最終回のシュウジの改心につながると読み解くことができる。
しかし繰り返すが、こういうクリエイター論的なアニメの読み解き方を作者は邪道だと思っている。というかこうした描き方の前例は多くあるだろう。
シュウジの行動動機や心情を丁寧に描くことを放棄して、描写不足の欠陥を埋めるためにクリエイター論が導入され、結果シュウジがクリエイター論の化身として適当に消化されてしまったようにも見えた。もっと作品内だけの情報で人間を描ききって欲しかった。
雑・SF的に気になっているところ
宇宙創造ができるサイコミュってどういう仕組や理屈なのだろうか?
「そういうサイコミュがあるそうした宇宙があるんです!」って言い張れば何でもありなんだけれどさ。
エルメスはどうやってGQ世界に転移してきたのかだろうか?
「世界に一つしかないアルファ型サイコミュが二つ存在し、その共鳴による不安定さがゼクノヴァを引き起こす」とは11話でシャアが語った理屈である。
しかしこれだけではエルメスがGQ世界に転移してきた原因が不明なままだ。ゼクノヴァを起こすには一つの世界に二つの同型サイコミュが必要なのであるということは、ただアルファ型サイコミュを作っただけではゼクノヴァは起きないのである。
ゼクノヴァが起きない状況でどうやってエルメスがGQ世界に来たというのだろう?
エルメスがGQ世界への転移してくるという現象は、シャアが語ったゼクノヴァの条件が満たされていないもかかわらずゼクノヴァ的な転移現象が起こったことを示唆している。
これも「薔薇ララァは自分の作った世(GQ世界)界に自由に出入りできる」という理屈を作ってしまえば言い訳がつくのだが、なんかダサい。
ゼクノヴァとエルメス転移はまったく別の現象なのか、シャアがまだ理解に及んでいないゼクノヴァ現象の法則があるのか、筆者にとってまったくの謎である。
GQ世界がどの程度ララァから独立しているのだろうか。シュウジが破壊すると初めて『夢』になってしまうらしいから、宇宙創生にララァが関わっていたというだけで破壊されない限りはずっと存続できる独立した宇宙なのだろうか。
計算力によって現実宇宙と仮想宇宙の主従が計算力によって逆転する様をイーガン『順列都市』は描いている(というのが筆者のつたないイーガン理解である)が、『ジークアクス』もそういう系列の、下位に属していた宇宙が独立や昇格する話だったのだろうか?
そもそも薔薇ララァの世界もGQ世界もどちらも『機動戦士ガンダム』の下に作られた物語世界であることは視聴者の我々は知っているわけで……。
同一のサイコミュがあるとなぜ宇宙の境界が不安定になりゼクノヴァが起きるのか?
真面目にSF的な理屈を考えてみる。
まず薔薇世界のGQ世界は情報のやり取り自体は普通にできそうな関係にあるとみえる。一度消えたシュウジは幽霊のような姿で第11話に再登場するが、あればシュウジの肉体は薔薇世界あるが精神はGQ世界に届けることができると描写解釈できる。
つまり別宇宙間で物質のやり取りを行うのは難しいが、情報通信のやりとりはできなくもないというルールがあるのかもしれない。
宇宙を超えて情報をやりとりできるということは、機械であるサイコミュの送受信も可能だということにある。
そしてエルメスと赤いガンダムには同じアルファ型サイコミュが搭載している事実がある。
そこでアルファ型サイコミュに当てて情報を流した時に、別宇宙のアルファサイコミュにも情報が混線して流れてしまうこともあるのではないだろうか?
仮にそのような事態が発生すると、エルメスのアルファ型サイコミュに繋がったまま寝ているララァは、サイコミュから入ってきた情報が薔薇世界の情報なのかGQ世界の情報なのか区別がつかないのではないだろうか?
薔薇ララァの視点では薔薇世界とGQ世界の見分けが付かないような、2つの宇宙が混ざり合う瞬間が生まれ得るのではないだろうか?
するとその瞬間だけは、仮に片方の宇宙にしか存在しない物も別宇宙に転移することが可能そうである。
もし二つの宇宙の現実に薔薇ララァの主観的認識が強く作用するなど複数の前提を設定することができるのであれば、同じサイコミュがあることで宇宙を乗り越える超常現象が起きる理由をなんとなく組み立てることができる気がする。
余力があればジークアクス全体の感想も別途述べたい。